一般に、人間が対象を認知する場合、その対象の特徴をチェックしてから全体を認識することが多い。
合宿免許でも少し学んだような気がします。
これを車がぶつかったときにあてはめると、"しまった"と感じた瞬間、まず相手の車をチェックし、そのあとにどんなドライバーなのかを確かめようとする。
もし、相手の車が何千万円もするような高価なものだと、ドライバーの顔も見ないうちから、気の弱い人は背筋がゾーッとしてきます。
これは、相手ドライバー自体を直接認知するのではなく、前に見たり聞いたり試したりしてつくったワク(この場合は"高級車に乗っている人はコワイ人が多い"というワク)に関係させて価値づけてしまうからだ。
心理学ではこれを、フレーム・オブ・りファレンス(関係づけのワク)といっています。
お互いにまず車を見た。
そして同程度の車だと見るや、いったいどんなやつだというので怒鳴りながら外に出ていきました。
だから、顔を確認するまでにある程度、間があったのでしょう。
つまり、ここには、ドライバーとドライバーという関係以前に、鉄とガラスによってつくられた高価で便利な"車"というものとものとの関係が先にあるのです。
いいかえれば、人が車を運転するのではなく、車が人に運転させ、人を変えてしまうのです。
そして、人を変える方向は、おもに生まれたままの心の動き、原始的な心性なのだそうです。
なぜそうなるのか。
これは、車の持つ密室性に深くかかわると思われます。